私は現在、日本一のWebマーケティングスクール(株)キークエストで、Webマーケターになるべく、本気で活動している35歳の主婦です!
一年後の2024年に独立することを目指しています。
北陸の雪国出身。
武士のような夫と、子供達とオーストラリアの山奥で暮らす、1歳と3歳の男の子のママでもあります!
子育て&家事&パートで、自分に時間にお金に余裕がなく、常にイライラ、ピリピリ状態が通常運転です。笑
突然ですが、皆さんは自分に自信がありますか?
私は自分に自信がありません。
現在、家事と子育てはしているものの、家計は夫に頼らないと生きていけない。
スキルも経験も特技もなく、
ザ・凡人の人生を約30年もの間、のうのうと歩んできてしまったのです。
ある日、
大病で心臓が一度止まったことをきっかけに、
こんなふうに思いました。
私って誰の人生を生きていたんだろう…?
日々の生活の中で些細な幸せはあったものの、それは、
夫がいるから幸せ
子供がいるから幸せ
と、全て他人に依存しているから、自分に自信がないことに気がつきました。
私は自分で自分の人生を幸せにしたい!
と強く思い、失った自信を取り戻すため、以前から興味があったWebマーケティングを本気で始めることにしました。
そもそも花金って何者やねん!?というとこですが、
下記で私の人生(離婚、闘病、海外移住、マーケターを目指すまで)を晒していますので、
是非ご覧ください。笑
幼少期〜高校:甘えん坊の末っ子が初めて味わう挫折
私は3人兄弟の末っ子として金沢市で生まれました。
父と母は自営業で街の電気屋をしており、
ごく一般的な裕福でも貧乏でもない家庭で甘やかされて育ちました。
当時、SPEEDと言うアイドルグループの大ファンだった私は、
そのMVに出てくる海外の様子にとても憧れを抱くようになりました。
英語が特別な存在に。
高校では英語だけを熱心に勉強し(英語のテストはほぼ満点、数学は赤点)、
大学受験の時、父に話しました。
「お父さん、私、関西外国語大学にいきたい!」
父は「だめだ」と、話さえ聞いてもらえませんでした。
父は田舎の昭和頑固おやじそのもので、
自分の子供が、まして女である娘が、
自分の手から離れて県外へ行くなんてことはまずあり得ない選択肢だったのです。
しかし当時の私は絶望的で、親に分かってもらえなかった怒りと悲しみと、
これができないんだったら私の人生は終わりだとさえ、思いました。
しかし説得できる力もなく、
投げやりで地元の短大を卒業し、兄や姉と同じように地元の中堅企業に就職しました。
(後にこの想いが爆発することを誰も知らない。)
会社員時代(前期):脳内お花畑時代
地元の総合商社の事務職として働き始めましたが、
仕事はそこそこに、社内恋愛に走ります。笑
入社してすぐ、当時同期のホープと言われていた
地元の国立大卒の4歳上の男性とお付き合いが始まり、
程なくして結婚しました。
「自分は仕事ではなく女としての幸せの方が合ってたのか〜⤴︎
夫はトントンと出世していくだろうし〜⤴︎
将来は役員夫人だったりして〜♡」
と、アホな妄想は暴走していました。笑
お花畑のすぐ先は断崖絶壁になっていることも知らずに…。
結婚後:地獄を味わう 〜モラハラ夫との新婚生活〜
結婚してすぐ、問題が起こりました。
夫は家事を一切しない人だったのです(私も一応正社員)。
家事だけならまだまし、自分の脱いだものすら所定の場所に置くこともできない、
トイレやクローゼットの電気は朝まで付けっぱなし。
極め付けに、毎朝何度も何度も起こしてあげないと自分で起きられず、
会社に遅刻する始末。
悲劇!お子ちゃまと結婚してしまった。
当然のように毎日喧嘩勃発で、
「私はあなたの母親じゃない!」「いや僕はできない!」と言い争う日々でした。
しばらくした後、面倒臭くなった夫は私の存在を無視するようになっていきました。
2週間ほど、家の中で存在を無視され続け、私は精神的に辛くなりこう言いました。
「ごめんなさい、私が悪かったです。」
モラハラ夫の誕生。
それ以降、夫は何かあると私を長期間に渡って無視するようになり、
腹の虫が悪いときは私に暴言を吐くようになりました。
私は感情を無にして過ごすようにしました。
仕事はやりがいもないし、家庭は新婚早々崩壊寸前。
「あーっ、人生ってつまんねぇ。」
「早く時間が過ぎないかな。」
そう毎日思っていました。
見栄を張ってした就職・結婚は7年もの間自分の首をじりじりと締め付けました。
会社員時代(中期):病気発覚で人生一の絶望を味わう
感情を無にして白黒の世界で生きていたある日。
年に一度の会社の健康診断で届いた知らせ。
「直ぐに国立病院で再検査を受けてください。」
一人で国立病院に向かうと、
すぐに血液検査や首のエコーなどたくさんの検査を受けました。
医師「あなたの病名は・・・」
当時26歳。
まだまだ若いと思っていたのに、橋本病という病気を患ってしまいました。
「首にガンができやすいので、今後注意してください」
「将来子供ができないわけではありませんが、注意する必要があります」
「橋本病はバセドウ病に転換しやすい病気です」
「慢性のため、あなたの病気が完治することはありません」
わたしは深い悲しみと恐怖を味わい、夫に伝えました。
「次の検査で一緒に先生の話を聞いて欲しい」と。
すると夫は「え?大袈裟でしょ。会社は休めないよ?」と。
病気になってもなお、夫が私に寄り添ってくれることはありませんでした。
その時、私の中で何かの糸が切れたと思います。
会社員時代(後期):もう一度英語がやりたい!
会社はつまらない、夫はモラハラ、体は不治の病を患った私。
人生がどんどん悪い方向に進み、何かを見つけないと消えてしまいそうでした。
その時思いました。
昔好きだった英語をもう一度本気で勉強しよう。
目標は定まっていませんでしたが、
うじうじ理由を探していたら動けないと言う自分の性格を知っていたので、
まず始めてみることにしました。
「本気で英語が話せるようになるには、、、英会話スクールかな?」
運命の出会い:松岡修造似の熱血先生
キラキラしたお洒落な趣味としての英会話ではなく、
泥臭くてもなんでもとにかくガチで英語が身に付く方法が知りたい…と、
かなり切羽詰まっていました。
大手の英会話スクールでは話せるようにならないと直感的に分かっていたため、
ネットで血眼になって探していると、
ある英会話教室の先生のブログにたどり着きました。
「この先生…熱い!熱血にもほどがすぎる!」
連絡を取って一度会ってみて思いました。
「ここだ。この人を信じるしかない。」
入会金と半年分のレッスン料33万円は、当時の私には安くない金額でした。
大金を握り締めて、「やっぱり詐欺だったらどうしよう」と不安を抱えながら、
「もう騙されても良いからここにかけよう!」と
震える手でお金を振り込んだのを今でも覚えています。笑
熱血!修造先生(仮名)とガチの一対一で英語を練習する。
勉強している間は嫌なことは忘れられたので、それはもう夢中になりました。
高校英語は得意だったものの、その後約6年のブランクがあり、
その出来はポンコツそのものでしたが、
修造先生は私を見放さず、真っ直ぐに指導してくださいました。
そして2年後、なんとか英語が話せるようになりました。
「準備はできた。やり切ったし、自信もついた。」
自信がついた自分で、離婚しようと決意。
私は離婚を言い渡しすぐに家を出て、
その後夫と何度か話し合いはしたものの、割とあっさり離婚成立しました。
(後々聞いた話では、夫は夫の親友の元嫁と不倫していた模様。
最後までゴミクソ野郎でした。)
海外生活スタート:飛べ!青い海のオーストラリアへ!
離婚後、なんの未練もなく会社を辞め、
とうとう念願の夢だった海外の生活を鼻息荒くスタートさせるのです。
ラッキーなことに教育関連会社の役員秘書としてすぐに働き始めることができました。
海外生活は辛いこともあるけど、とにかく楽しくて刺激の多い毎日で充実していました。
マーケティングとの出会い
しばらくしてから、自分のような日本からきた留学生を
現地でサポートするコミュニティを友人と一緒に立ち上げました。
私は、どうしても経済的に自立したかった=自分で会社を起こしたかったのです。
このコミュニティは人助けにもなるし、
今後起業する糸口を見つけられれば良いなと、
いう下心満載で活動していました。
オーストラリアの大学へ進学。
立ち上げたコミュニティではイベントを企画したり、
現地の情報をSNSで発信したり、地元の企業とコラボしたりと、
みんなにもとても喜んでもらえ、その規模はどんどん大きくなりました。
しかし、起業するどころか収益を得ることにすら至らず、
私は莫大な時間をかけてボランティアを続けていました。
たくさんの経験と、人脈を作ることができましたが、
やっぱり起業する夢を諦めきれずに、
ちゃんとマーケティングを勉強しようと、
オーストラリアの大学へ進学しました。
運命の人と出会う:結婚・出産
例えるなら、山のような、いつもそこにどしっと居てくれる心の大きな人と出会いました。
トントン拍子に結婚して、あれよあれよと言ううちに子供が2人でき、
そこから3年間マーケティングのことなど忘れかけていました。
「夫は最高に優しいし、我が子は目に入れても痛くないくらい可愛い。」
「今が人生で一番幸せ」
そう毎日思って生きていました。
しかし、人生はそう簡単ではありません。
産後:バセドウ病を発症
次男を出産して半年後、街のクリニックから通達を受けました。
「今すぐ救急の大きい病院に行ってください。」
「そのまま入院になります。」
持病の橋本病がバセドウ病に転換しており、
入院後すぐに手術で喉にある甲状腺という臓器を全摘出しました。
海外での初めての手術。
コロナ禍で医師不足のため、目の前にいるのは研修医ばかり。
少なくとも5回は注射を失敗され、私の腕は見た事もない紫色をしていました。
手術の直前、怖くてたまらず子供のように大泣きしている私の腕に、
全身麻酔の太い針が入り、私は意識を失いました。
手術の間、止まっていた私の心臓。
私は死を見たのです。
手術は無事成功し、すぐに普通の人と同じ生活を送れるようになりましたが、
私は療養中、ベッドでたくさんのことを考えました。
私は一度死んだの?
私の人生なんだったんだろう?
私は本当に良い人(夫)と巡り合い子供に恵まれ、今間違いなく幸せだ。
幸せだけど、この幸せは周りに依存してない??
自分に自信がなくモヤがかかっているのはこのせいだ!
夫がいるから幸せ
子供がいるから幸せ
ではなく、
私がしたいことをして
自分らしく輝いているから幸せと思いたい!
と言う気持ちが強くなりました。
早く行動しなくちゃ!
何か起こってからじゃ遅い!
自分の使命・人生をかけてやりたいこと
私のように、
自分らしさを失って夫と子供のために生きている
家族からの尊敬を失いモラハラ夫に苦しむ
キャリアを犠牲にし、社会に取り残されていく
こんな女性はたくさんいるんじゃないか?と思いました。
マーケティングを使って助けたい!自分も人も!
私の使命・人生をかけてやりたいことが見つかった瞬間でした。
誰のためでもない、自分のための人生を生きる
私は日本一のWebマーケティングの恩師との出会いがあり、
現在その人の元で学ぶ毎日を送っています。
このブログは私がWebマーケティングを使って自信を取り戻し、自立し、夫や子供のためではない自分の人生を歩き出すことを証明する記録を残していこうと思います。
そして、ご縁があってこのブログを読んでくださっているあなたにも、
このブログで同じステップを踏んでいくことでWebマーケティングを習得し、
自立している強く美しい女性であってほしいと言う願いを込めています。
今、心を無にして生きているあなたへ
私たち一人ひとりが強く、美しく、自立した女性です。
自分を取り戻し人生が上手く回り出す、
そんな未来を一緒に目指していきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2023年5月20日 花金